母の病気

自我が芽生え始めて,自分のことを認識し始めてから,人生は一度きり,その人だけのものになる.

社会の中の自分,家庭の中での自分,友人関係での自分,今はSNSの自分から私たちは成り立っている.

時間があるおかげで,時系列で物事が起こる.

言語があるおかげで,出来事を整理できる.

長い年月かけて社会が発展したおかげで,論理的に科学的に考えることがオプションとして与えられた.人生に選択肢を増やすことが可能になって,「より良い生活」が送れるようになった.

ただ,負の感情が最高潮になったとき,人は全てが嫌になる.自分を形成しているものから逃げられないことを知っているから,その人の限界を超えてしまうと,自分の人生を諦めても死にたいと思う.

皮肉なことに,脳は非常に可塑であるから,その人の意思関係なく,その人の脳にとって「正常」な状態ではないことが続けば,身体の根本のシステムが変わってしまって,本当に逃げられなくなる.

Depression

母がうつ病を患っていることを知った.心身ともに疲労していてぼろぼろだけれど,とっても死にたいと思っているけれど,自分で病院行くくらいには向き合おうと頑張っている.

驚くことはない,母は私が生まれたときから,姑に父の家系にひどく扱われて,父は自分の家系に非があることを認めず,一切自分の手で救いを差し伸ばすことはない.ただ出来事が全て重なって,本来ならプラスとなるようなことがあっても,マイナスがあまりにも大きくて,その状況でい続けろというには彼女はあまりにも繊細で,崩壊しただけだ.

いつかはなるかもしれないとは思っていた.

同性であって,母を尊重していた私は,話を聞き続けてた.受験勉強しなきゃと思ってても母が話したそうにしていれば,ちゃんと相槌を打って話し切れるまで聞いていたし,弟はもう同じ話にうんざりしてそうでも,話を流したりせず,第三者の観点を与えてみたり,楽しい話にもっていけるように考えながら聞いた.

家族で,母以外は女性的な思考の持ち主がいない.父はどうして結婚できたんだとも言わんばかりに女性に対する理解がない.弟は父に似てる.私は,求められてない解決策を持ち出してしまうような男性的なタイプだけれど,ある程度理解はしているから,どうにか私なりに話を聞いてあげることを努めてきた.

考えた通りに道は選んできたけど,思い通りな生活を送れるような幼少期ではなかったから,自分の人生の優先順位は低かった.プライドも必要ないと思った.日本の文化も少しあって,結果,みんなが良ければなんでもいいと思うようになった.どんな人生を歩んだとしても,いつかは消えてなくなるし,どんな選択をしようと他人にどう思われようと害を与えてこない限り気にならないし,どうしても「なりたい」ものも「こだわり」もない.

だからかもしれない,それが私の中で自分のアイデンティティになった.人と関わっていく上で,みんな主張したいことがあったり,どうしても嫌なことがあったり,譲れないことがあることに気づいた.平和に収まるように,集団でいるときは,私という存在が,存在という形で一部となって,みんなが望む結果になるようになるべく心がけた.

育ちもある.小さい頃から習い事をやるかやらないかの選択肢を与えられ続けてきたけれど,やってみないと分からないと思って,時間の許す限り全てやるという選択肢をとってきた.これというものはピアノになったけれど,私の場合は,どうしても音楽やピアノの音が好きで始めたわけでもない.どれもやってみればその道を学ぶための手順があって,同じだった.人の嗜好や得意とするもの,苦手だと思うことに上達の速度は影響されるみたいけど,嫌悪感さえ抱かなければ,自分から歩もうとすれば,誰でもある程度までは進めるものだと思った.その先を目指して,焦点を当てて極める人の,練習や現実とのギャップに対する大変さも知った.

人も同じだと思った.話してみないと分からないし,こちらから切ってしまうと相手のことも理解できないまま.始めから頭ごなしに相手のことを嫌いになんてなれないし,少し知り合ってから見えている姿なんてまだ表面的で,そんなだから特に新しい環境で友達を選ぶのは苦手だった.こんな私で良い人なら誰でもいいと思った.

母は話したいみたいだった.母には私しかずっと相手をしてくれる人がいなかった.「仕方ない」「もう諦めてる」と全て同じ結論になるけど,私の提案なんて「あなたの立場でしかできない」と言われるけど,すごくもどかしいけど,付き合ってあげないとだめなのはわかった.自分の時間を優先する理由がなかった.

一番母のことは分かってあげようとしたし,実際そうだった.弟のことは歳が近いのもあって,両親よりは理解者だし,父は短気で,その気性を荒立てずに慎重に関係を保てるのは私だけ.だから,留学するときは少し心配で,でも環境に慣れてほしかったから,なるべく自然に離れて,私に依存することないように私も距離をおいた.

だけど,時々する電話でこれは度々芳しくないなと思って,家庭が平和に穏やかになるように私が心掛けてきたことを,弟に分かりやすく何度かに分けて,その時々に合わせてやるべきことを伝えたけど,あまり意味はなかった.話している間は分かってくれるけれど,まだ子供だから事の重要性を分かってなくて,自分以外の人の立場になって考えることができないみたいだった.性別や人格によって,できることは制限されるから,責められることでもないと思った.

私は私の立場で,出来る限りのことはやってきたけど,とうとう母にも限界がきた.それも最近始まった話ではない.今回も同じように出来る限りのことは一通りやったけれど,もう母の精神が崩壊しかけてる中,私だけが注意してるだけではとてもじゃないけど足りない.まだまだやらなきゃいけないことがある.

いつもは冷静な私だけど,2日前に病気や近況の話を聞いてから,普段の生活の中でもすぐ涙がぽろぽろ出てくるようになった.近い将来,母の症状を周りの人に伝えなきゃいけない時が来るから,うまく話す内容をまとめなくてはいけない.頭の中でシミュレーションしようと言葉を探すと,色々思い出して母が可哀想で辛くなる.言語の壁があるから日本語か英語でまとめて,分からない言い回しを友達に聞こうと思ってるけど,ちゃんと両立できるといいな.

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